
https://ride2rock.jp/wp-content/
自転車競技(BMX)選手の長迫吉拓選手をご存知でしょうか?
BMXは2008年の北京オリンピックから正式種目となった競技で今後注目されています。
そのBMXのワールドカップでアジア人初の入賞を果たしたのが長迫吉拓選手で、東京オリンピックでの活躍が期待されています。
2017年9月14日テレビ東京系列で放送されるの「みらいのつくりかた」に出演されるということなので、改めて長迫吉拓選手について調べてみました。
長迫吉拓(ながさこ よしたく)のプロフィール
・1993年9月16日生まれ (23歳)
・岡山県出身
・自転車競技(BMX)日本代表選手
4歳でBMXを始めた長迫選手は、5歳で地元のレースに出場、なんと9歳で世界選手権の日本代表に選出されました。
2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、日本代表選手としても活躍されました。
ちなみにBMXとは、ジャンプ台やコーナーを含む約400メートルのコースを、最大8人までの選手と予選から決勝まで走り、着順を競う競技です。
実際の競技の様子はコチラを御覧ください
4歳から始めたBMXで現在まで輝かしい経歴をもつ長迫選手はいったいどんな人物なのか見ていきたいと思います。
長迫吉拓選手は結婚している?
23歳とお若いですし、さわやかボーイの印象ですので、きっとモテるでしょうね。
しかし、結婚はされていなく独身です。
ですので、スポットを長迫選手のご家族に移してみたいと思います。
お父様・勇二さん、お母様・貴恵さん、お姉様・萌子さんの4人家族です。
お父様の勇二さんは、脱サラをして、県内でバラ園を営んでいます。
バラ園を開いた場所の近くに、たまたま市営のBMX自転車競技場があり、そこで興味を持ちBMXを始めたと言われています。
長迫吉拓選手のスポンサー問題

https://pbs.twimg.com/
BMKは、2008年の北京オリンピックから正式種目となりましたが、皆さんが知っているような柔道やレスリングのようなメジャーな競技ではなく、まだまだ知名度が低いのが現実です。
しかし、海外遠征など試合があれば移動しなければなりません。
スポンサーがいなければ、当然自己負担となってしまいます。
海外遠征費は一回で数十万、金銭的にかなりギリギリのところでしたが、頑張っている長迫選手を見ていたご両親は、遠征費を頑張って捻出していました。
高校生になり、両親の金銭的な負担を減らしたいと思った長迫選手は、高校を中退し、アルバイト週6日もして遠征費を貯めていきました。
それと同時に自ら資料を作成し、スポンサー探しを始めました。
門前払いなど当たり前で、まずBMXという競技も知らないという人がほとんどでした。
数百社を訪ね歩き続けて、やっと一社のスポンサーを獲得できました。
17歳にして、ここまで一人でやれる精神力、行動力は物凄いです。
きっと、ご家族を想ってだったり、自分の目標に向かって一生懸命だったんですね。
長迫吉拓選手が掴んだオリンピック切符

https://cdn.cyclist.sanspo.com/
2008年から正式種目となったBMXに、長迫選手は大きな期待と大きな夢でいっぱいになりました。
2012年には拠点を日本からスイスに移し、オリンピックを目標に掲げ、BMX訓練施設「ワールドサイクリングセンター」で自らを鍛え続けました。
しかし2012年のロンドンオリンピック最終選考直前に、手首を骨折してしまい、残念ながら日本代表にはなれませんでした。
2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、たった一枠しかない日本代表出場枠を獲得し、オリンピック初出場を果たしました。
結果は残念ながら、準々決勝敗退となってしまいましたが、次の東京オリンピックでは活躍してくれることを期待しています。
長迫吉拓選手のトラック挑戦

https://www.cycloch.net/
2017年、BMX日本代表でも活躍する中、自転車競技のトラック競技(チームスプリント)でも日本代表としてデビューしました。
チームスプリントとは、1チーム3人で同時にスタートし、1周毎に1人ずつぬけていき、最終的に3周のタイムを競う競技のことです。
チームスプリントは2004年のアテネオリンピックから正式種目とされました。
日本が得意な競技とあり、アテネオリンピックでは銀メダルを獲得しました。
しかしその後低迷していて、長迫選手にはかなりの期待がかかっていると言われています。
BMXとチームスプリント、どちらも日本代表になれるのはやはり才能がありとしか言いようがありません。
これから長迫吉拓選手も大いに期待しています。
コメントを残す