NHK朝ドラ『わろてんか』葵わかなが演じる吉本せいの人生って?

女優の葵わかなさん(18)が、2017年後期NHKの連続テレビ小説『わろてんか』のヒロインに。オーディションでは2378人のライバルたちの中から選ばれました。

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『わろてんか』ヒロイン誕生!!

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第97作目の朝ドラ。テーマは「笑い」です。

『わろてんか』とは、”笑ってほしい”との意味です。そのタイトル通り、最終オーディションやコメントには笑いの要素があふれ、会見で葵さんは終始笑顔でした。

脚本は、ドラマ『学校のカイダン』(日本テレビ)や、映画『カノジョは噓を愛しすぎてる』の吉田智子氏が担当。

監督から「なにか一発芸をやってみて。」と指示され、Eテレ『ニャンちゅうワールド放送局』(日曜・17時)のキャラクター、ニャンちゅうのものまねをした

葵さん演じる主人公「藤岡てん」。

そのモデルは、吉本興業の創設者である「吉本せい」です。彼女の生涯とはいったい?

吉本せいの人生は?

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1889生まれ。大阪の穀物商の子として生まれました。本名は「吉本勢(よしもと せい)」です。

1910年に荒物商・吉本吉兵衛のもとに嫁ぎます。しかしこの夫、家のことをほったらかし、大好きな芸や旅に打ち込んでしまうのです。芸に生きるあまり、散財…。

https://1000ya.isis.ne.jp/1123.html

そんな夫を見かねて、夫婦で吉本興業部を立ち上げます。せいが夫の芸人道楽を活かすために、と始めたものが大成功し、大阪天満(てんま)の第二文芸館を借りて寄席を始めました。

ついに、現在の「吉本興業」の基礎となる「吉本興業部」が設立されました。1913年の事です。

しかし、幸せが長く続くことはなく、1924年、どんどんとその規模を拡大し、このまま軌道に乗り…という頃に夫が急逝してしまいます。せいが34歳の時のことです。それでも せいは寄席を減らしてはいけないと奮闘し、それまでの栄華を絶やさないようにと、工夫を凝らしました。

組織づくりや経営に力を入れ、1932年には「吉本興業部」を「吉本興業合名会社」と改組しました。それまで中心で不動だった落語を、漫才に変えたのです。

戦争の惨禍に巻き込まれた時には、劇場の大半をも失いましたが、それでも不屈の精神で乗り越え、再開を実現したのです。そしてわずか3年後には、「吉本興業株式会社」と名を改め、取締役会長に就任したのでした。

1950年に、60歳で波乱に満ちたその生涯を閉じました。

夫と子供たち、家族の存在

夫は本当にダメダメだった!?

夫・吉本吉兵衛は、荒物問屋の息子で、幼いころから笑うことが大好きでした。「お笑いこそ人生の薬」という言葉が、厳しい親のもとで育った せいの胸に響いたようです。

https://goo.gl/zEB9Z2

荒物商の子供と穀物商の子供。環境も考えもすべて違うからこそ、新しい魅力や行動に結びついたのでしょう。

吉兵衛はいつも せいに笑顔を送っていて、その生活には笑いが絶えなかったといわれています。

大好きなことを追及してしまったばっかりに、家業をおろそかにしてしまった吉兵衛ですが、せいの協力もあり、お笑いを生業として生きていくことが実現しました。

夫婦は笑いを通して、いつも幸せでいたようです。

スパルタ教育者…!?

せいには、8人の子供がいましたが、みな若くして亡くなってしまいます。

数少ない存命であった息子・頴右(えいすけ)に、母・せいは過剰な期待をかけて育てます。しかしこの息子も病弱で、さらに、母の希望しない交際を始めてしまいました。

その相手こそが、ブギの女王で知られる「笠置シヅ子」さんです。

東京ブギウギ」は現在でもCMなどでよく使われる名曲ですよね。

この時すでにシヅ子は子供を身ごもっていましたが、それにもかかわらず せいは最後まで結婚を認めなかったようです。

結局、頴右は24歳の若さで亡くなってしまい、シヅ子は未婚の母となりました。

大切な子供だからこそ、期待して心配してしまうんでしょうね。当時は早世の時代でしたから、短い間で幸せにしてあげたいという、親の優しさが含まれていたのかもしれません。

吉本興業成功のワケ

なぜ、お笑いはウケたのでしょう。なぜ人々は、お笑いを求めたのでしょう。

一番の理由は、その場所が「大阪」であったから。その根本は、大阪が「商人の町」と言われることにも由来します。大阪には江戸と違い、階級社会が根付きませんでした。「偉い」も「絶対」もない中では、人への評価も厳しくストレートになっていったようです。

https://goo.gl/t1d0jy

その一方で、商人は商売のために、コミュニケーションをとる必要がありました。でもただやるだけでは売れるものも売れません。お客さんとどれだけ仲良くなれるか。どれだけ笑いを取って、リラックスさせられるか。そこを重要視していました。

そうした意識が大阪人の心と体に染みついていたからこそ、吉本興業も切磋琢磨しながら成長していったのです。

まとめ

ものもお金もない時代に、人々に元気と勇気を与えた吉本興業。今となっては誰もが知る大きな存在になりましたが、その道のりはかなり厳しかったようです。

自分の利益のためではなく、人のために立ち上がった「吉元せい」の、強さとその中にある優しさを感じました。

これから続々とキャストさんが決まってくるので、時代背景も合わせて注目したいですね。

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